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Sunday, June 28, 2009
Saturday, April 11, 2009
Peace-Building Exhibit by UW students / ワシントン大学学生による平和展示会

今日は、まずドーナツ屋さんに立ち寄って、いろんなドーナツをたくさん買い(お店のおじさんに3つもおまけしてもらい)、ワシントン大学構内で開催された平和構築のための展示会を訪ねてきた。主催はワシントン大学の学生さん達。




From A Culture of Violence to a Culture of Peace
Hosted by:
World Peace Buddhist Group
For a list of speakers, workshops,
and more information, please
contact wpb@u.washington.edu
Or visit webpage at
www.TransformSpirit.blogspot.com







Friday, February 6, 2009
人としての道、教えるということ、育むということ (道徳と教育)

まず最初に取り掛かったのが、「道徳教育」
そして、与えられた課題をテーマにレポートを書いた。。。
そもそも私達が世代から世代へと受け継ぎ、進化させ後世に伝えていくものは、全て「世界の平和と人類の幸福」のために存在しなければならないし、またそうあるために役立てられなければならない。それは、様々な分野における技術であったり、学問であったり、政治であったりと形は様々であるが、人類社会を成り立たせる全てのものが平和と幸福のためになければならない。それを可能にする確かな軌道、正しい方向へと導くのは他の誰でもない人類社会に生きる人間一人一人であり、またそれとは反対に戦争と不幸という暗闇の方向へと人類を導いてしまうのも、同じく人間一人一人である。
教育の分野においても漏れることなく全く同じ道理が成り立つのであって、さらにそればかりか、人類を平和と幸福の方向に導くのかそれとも戦争と不幸の方向に導くのかという点において、教育の与える影響とその責任は甚大なものである。「いったい永遠のものとは何であろう? それはそもそも正しいものと、正しくないものとの区別であるのだ。他の一切ははかないものである。」とキルケゴールが綴ったように、人類が歩む道も「正しい道」か「正しくない道」かのどちらかでしかないのである。正しい教育は人類を正しい道へと導き、正しくない教育は人類を正しくない道へと導く。要するに正しい教育は人類を「平和と幸福」の方向へと導き、正しくない教育は人類を「戦争と不幸」の方向へと導いてしまうのである。だからこそ教育のもつ責任は大きく、その教育が正しくあり続けるために全世界で永続的に見直されることが必要である。
では、教育が正しくあり続けるために必要になるのは何であろうか。そもそも、「人間が人間らしく生きるためには道徳的であらねばならない」という観点から見るならば、教育活動においても同じ事が言えるのである。「人間が人間らしく生きるための教育」こそが「人類を平和と幸福の方向へと導く正しい教育」であり、その「教育」が正しくあり続けるために必要になるものこそが、「道徳」なのだ。
ではここで、人類の明暗を決定付けるとも言える、この「道徳」の「教育」について述べてみたい。まず、「道徳教育」は一体誰が行うべきもので誰の肩に「人類の明暗」がかかっているかという問題についてだが、これこそが現代社会が抱えてしまった大きな落とし穴なのだ。「教育は、教師がやるべきもので、その責任は全て学校にある」などと言ってのけてしまう大人がいて、そういう大人達で構成される地域社会があって、その中で生きているのが現代の子供達なのである。「人類の明暗」を左右する責任は大人にあるのであって、教師や学校だけにあるのでは無いはずだ。言い換えれば、「道徳教育」は教師だけが行うものでもなく学校だけで行われるものでもなく、子供達を育む地域社会全体で行われるべきものであり、全ての大人が責任をもって行うべきものである。
以上を踏まえ、私の身近にいる中高生の生き方について触れながら、「道徳教育とは何か、その必要性はどこにあるか」という問題についてまとめてみたい。
今年の夏、私達夫婦は思いもかけずすばらしい出会いを体験する事ができた。ある壮年の方を通じて出会ったのは5名の高校生たちだった。全員が17歳である。H君は人々を幸せに出来る平和の料理人を目指し、T君は人人の幸福のために学者になると誓い、R君は世界の平和のために貢献できる人材になることを誓い、Y君は苦手な読み書きを克服して立派な建築家になることを目指し、そしてSさんは将来アフリカで活躍することを目標に掲げている。5人の内3人は親の離婚に伴う経済苦の中、昼間は働き夜学校に行くという挑戦の日々を送っている。なんと崇高な理想をもった青年達だろうか。しかし彼等のような中高生は数少ないのではないだろうか。彼等にあって彼等を支えているものは何なのか。それは彼等5人が定期的に勉強のために集まってくる家のご主人の誠実な「教育」なのだと感じざるを得ない。学校の先生でもない、ただ一人の親として、我が子を通して知人を通して知りあった青年達を迎える地域の大人の一人として、5人全員と真正面から向き合いながら彼等の成長と幸福を祈り誠実に接し共に学ぼうとされている。この姿の中に全てがあるように思えてならないのである。
「道徳教育」とは学校だけで行われるものではなく、やはり家庭と地域社会がしっかり子供達と関わりながら大人たちが教えていかなければならないものなのではないだろうか。そして、「道徳を教える」ということは「大人が正しい生き方を背中で見せる」ということであり、「道徳を育む」ということは「大人が責任をもって子供達と真正面から向き合う」ということなのではないだろうか。
英知を磨くは何のため
君よそれを忘るるな
労苦と使命の中にのみ
人生の価値(たから)は生まれる
Wednesday, December 31, 2008
二十一世紀は”暴力”と”非暴力”の戦い / Violence vs. Nonviolence: The Struggle of the 21st Century

モスクワのある女学校で、宗教の試験があった。主教がやってきて、十誡(じっかい)について、なかんずく、『汝(なんじ)、殺すなかれ』について質問した。
There was a test on the subject of religion in a certain girl's school in Moscow. A bishop had come to the school and was quizzing the girls one by one about the Ten Commandments. When he came to the commandment "Thou shalt not kill," the bishop asked:
「殺すことは、どんな場合でも、神の掟(おきて)によって禁じられていますか?」
"Does God forbid us to kill under all circumstances?"
女の子たちは、教師に教えられていた通りに答えた。
The girls each answered as they had been taught.
「いいえ。『どんな場合でも』ではありません。戦争や死刑では『殺してもいい』のです」
"No," they said, "not under all circumstances. We may kill in war or as legal punishment."
「うん、よろしい! 正解!」
"Yes, that's right! You've answered correctly!" said the bishop.
ところが、一人の少女は、同じ質問をされて、答えた。興奮で顔を赤らめながら、はっきりと。
Then one of the girls, her face flushed with indignation, spoke up:
「どんな場合にも、だめです!」
"Killing is wrong under all cirmumstances!"
あわてた主教が、どんな詭弁(きべん)を弄(ろう)しても、少女は負けなかった。
The bishop was flustered and marshaled all his rhetorical skills to convince the girl that there were exceptions to the commandment against killing, but to no avail.
「いいえ。殺すことは、『どんな場合にも』禁じられています。ちゃんと旧約聖書にかいてあります。その上、イエス様は、殺すことを禁じられただけでなく、隣人に悪いことをしてもならないと教えられました」
"No," she declared. "Killing is a sin under all cirmumstances. It says so in the Old Testament. Moreover, Jesus not only forbade killing but taught that we must do no harm to our neighbors."
少女の正論の前には、主教の威厳も、弁説も、みすぼらしく、何の役にもたたなかった。主教は、ついに沈黙するしかなかった。
In the face of truth in the girl's assertion, the bishop's authority and verbal skills were of no use whatsoever. In the end, he could only fall silent.
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これは、トルストイが、ガンジーへ宛てた手紙に書いた感動のエピソードである。(1910年9月7日)
This moving episode was related in Tolstoy's letter addressed to Mahatma Gandhi. (September 7, 1910)
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トルストイは誇らしげに書いた。
「女の子が、勝ったのです」
The young girl, Tolstoy wrote with evident satisfaction, had proven victorious.
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Soka Gakkai International (SGI) 池田大作名誉会長は訴える。
私も一緒に訴える。
Soka Gakkai International (SGI) President Daisaku Ikeda declared.
I would also declare.
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二十一世紀の真の戦いは、文明と文明との戦いでも、宗教と宗教との戦いでもない。『暴力』に対する『非暴力』の戦いである。『野蛮』に対する『文明』の戦いである。
The real struggle of the 21st century will not be between civilizations, nor between religions. It will be between violence and nonviolence. It will be between barbarity and civilization in the truest sense of the word.
対話を! 対話を! 何があろうと対話を!
「力にものを言わせる」時代を終わらせなければ、二十一世紀もまた「戦争の世紀」になってしまう。
We must reach out to others through dialogue, repeatedly and regardless of the challenges involved. If we do not change the thinking that so easily turns to the use of force to settle disputes, the 21st century will become yet another century of war.
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イスラエルとアラブ諸国を仲介する努力をしておられたエジプトのムバラク大統領もまた、
池田SGI名誉会長と中東平和について語り合われた祭、このように強く強く述べている。
During the discussion with SGI President Ikeda about the issue of peace in the Middle East, Egyptian President Muhammad Hosni Mubarak, who had worked to mediate between the Israelis and Arab countries, repeatedly emphasized that:
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「中東の未来は、あくまで粘り強く『対話』を続けるところにあります」
「もはや『力』による問題の解決は不可能な時代に入りました」
"The region's future peace hinged on the success of persistent efforts toward dialogue."
"It was no longer possible to resolve these issues by force."
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池田SGI名誉会長はさらに訴えている。
SGI President Ikeda further declared.
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文明の名にあたいする「非暴力の道」を本気で模索していくべきではないか。
We call for the earnest pursuit of nonviolence as a path worthy of civilized society.
侵略者やテロに対する、公正な国際的裁判のシステムを!
We urge that a fair and just international tribunal be established to try those responsible for acts of invasion and terror.
そして不信感を信頼に変える努力を!
We urge that all efforts be made to transform distrust into trust.
それこそが「テロ」という「暴力の崇拝」への根本的な治療策ではないだろうか。
For this is the most effective and fundamental antidote to terrorism and its repugnant worship of violence.
対話を! 対話を! 何があろうと対話を!
We must reach out to others through dialogue, repeatedly and regardless of the challenges involved.
「力」で他国の民衆の声を抑えこんでの平和とは、
Peace that is based on the forceful suppression of people's voices and concerns, whether it be in your own or other countries, is
「死の平和」である。
a "Dead Peace".
「墓場の平和」である。
--- "The Peace of the Grave".

Sunday, December 14, 2008
冬は必ず春となる ~"Winter Always Turns to Spring"
ついに雪が舞い降りた (12月13日夜)
It started to snow finally..... December 13th

シアトルで、二度目の冬
This is the second winter in Seattle
冬は大嫌いだが、冬が来ると思い起こす大好きな言葉がある
I do not like winter at all but I always remind one saying that I love in winter
「冬は必ず春となる」
"Winter Always Turns to Spring"

オーストリアにも「雨の後には必ず太陽が輝く」といった言葉があるそうだ。
Austria has similar sayings such as "After the rain comes sunshine"
共に勇気を鼓舞してくれる希望の哲学だ
Both of them are the philosophy of hope, a source of encouragement
The preamble says: "Wereas recognition of the inherent dignity and of the equal and inalienable rights of all members of the human family is the foundation of freedom, justice and peace in the world, ....."
自由も、正義も、世界平和も、どれ一つとして与えられるものではない
だからこそ、勝ち取るために、勝ち続けるために、希望の哲学がいやまして光を放つ!
Freedom, justice, world peace, ..... none of them is provided to you automatically.
That's why the phylosophy of hope illuminates the humanity to win, keep winning!
It started to snow finally..... December 13th

シアトルで、二度目の冬
This is the second winter in Seattle
冬は大嫌いだが、冬が来ると思い起こす大好きな言葉がある
I do not like winter at all but I always remind one saying that I love in winter
「冬は必ず春となる」
"Winter Always Turns to Spring"

オーストリアにも「雨の後には必ず太陽が輝く」といった言葉があるそうだ。
Austria has similar sayings such as "After the rain comes sunshine"
共に勇気を鼓舞してくれる希望の哲学だ
Both of them are the philosophy of hope, a source of encouragement
12月10日は、世界人権宣言60周年であった
December 10th was the 60th Anniversary of the Universal Declaration of Human Rights (UDHR)
前文にはこうある: 「全人類一人一人の尊厳と、平等かつ奪うことのできない権利こそ、自由、正義、そして、世界平和を構築する上での基礎であり土台である!」The preamble says: "Wereas recognition of the inherent dignity and of the equal and inalienable rights of all members of the human family is the foundation of freedom, justice and peace in the world, ....."
自由も、正義も、世界平和も、どれ一つとして与えられるものではない
だからこそ、勝ち取るために、勝ち続けるために、希望の哲学がいやまして光を放つ!
Freedom, justice, world peace, ..... none of them is provided to you automatically.
That's why the phylosophy of hope illuminates the humanity to win, keep winning!
Sunday, September 14, 2008
核兵器は、もはや「必要悪」ではない

インター・プレス・サービス(IPS)が池田大作 創価学会インターナショナル会長にインタビューをした。。。
http://ipsnews.net/news.asp?idnews=43416 … English
http://www.ips-j.org/2/ … Japanese
是非数多くの人に読んでもらいたい・・・特に世界唯一の被爆国である日本、そしてNPTが「核兵器国」と定めるアメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアの5カ国の人々に。
核軍縮・核廃絶の責任は私達一人一人にある。
世界平和は、どこか遠くの特別な場所で訴えるものではない。それは、今自分がいる場所から広がっていくものだ。今いる場所で訴えていくものだ。
2020年までに核廃絶を目指す2020ビジョンにも目を向けたい。---> http://www.2020visioncampaign.org/
何のために学ぶのか・・・ 自分ひとりのことだけを考える狭く浅い目的に立つのか・・・ そこには本当の幸せなどあり得ない・・・ 他者のため、世界の平和のため、人々の幸福のため・・・・・・・ そこにこそ本当の幸せがある。。。 自他共の幸せがある。
「学んで、語る。」
「学んで、行動する。」
平和のために。
幸福のために。
「生きる」とはそういうことだ!

Saturday, August 9, 2008
平和への願いをこめて
Wednesday, July 9, 2008
日本の新聞 世界に期待される日本

今日も蒸し暑くなりそうな空・・・・
久しぶりの日本の新聞。
ちょうどG8サミットが北海道の洞爺湖で開催されたばかり

YOSAKOIソーラン
目の前で初めて見たのは今年の3月フロリダで。。。
かっこよすぎるくらいかっこよかった。
すばらしい!
思わずこの核兵器削減の記事に釘付けになる。。。。。。。
一日も早く「核兵器撤廃」の合意がなされるよう行動しないといけない。
世界唯一の被爆国である日本が世界をリードすることが益々期待されるだろうし、
そうならなければいけない。
私に何ができるか。。。師である戸田城聖 先生は一人立ち上がり世界に宣言した。
「世界の民衆には生存の権利がある
それを脅かすものは魔ものなり!」
「いかなる国 いかなる民族であれ
核を使用するものは悪魔なり!」-と。
一人の正義の叫びは万波となり世界平和と人類の幸福を実現しゆく力がある。
私にできること、しなくてはならないことは、
この叫びの波を今いる場所で絶やすことなく伝えきっていくことだろう
一人また一人と伝播していくからこそ国から国へと伝播していく
世界平和は絶対に実現できる!
核兵器は絶対に撤廃できる!
HIROSHIMAの日まで、あと28日
他にも目を引く記事がさまざま。。。
ワンガリ・マータイさん
「日本のもったいない精神を世界へ!」
自身のことを聞かれ、「理想に目覚めればもう行動するだけ」-とも。
「行動の人」に!
中国の胡キントウ国家主席
「中国人民は皆様の貢献を永遠に心に刻みます!」-と。
心を打つなんと偉大な言葉だろう。。。。
シアトルのスーパースター、ICHIROの記事も見つけた!
松井選手の野球人生を展示する会場で見つけた大好きな言葉がある。。。
「努力できることが才能である」
Monday, June 30, 2008
平和のために-核兵器の廃絶のために
Monday, June 23, 2008
誇り高きオハイオ州 - 人権闘争の歴史
オハイオに住んで9年ほどになる日本人のご夫婦から教えていただいた事がある。

全く知らなかったが、なんと誇り高き州なのか、 オハイオ州は!
1800年代、1861-1865年のアメリカでの市民戦争までの間、オハイオ州は、奴隷として自由を奪われ人権を踏みにじられた多くの人々が束縛から逃避し自由をつかむ為のメイン・ルートだった。
オハイオ州とケンタッキー州を隔てるオハイオ・リバーを北に(オハイオ州側に)泳ぎ渡れば自由、つかまればまた地獄。。。 渡りきったとしても南から追っ手がやってくる。。。 そこで彼らの人権のため、自由のため、かくまう人たちが大勢いた。

屋根裏に、
地下室に、
倉庫の中に、
追っ手がやって来た時に逃げられるように、地下にトンネルを掘って。。。。
Underground Railroadと呼ばれているが、地下鉄ではなく、南から逃げてきた人々をかくまうための地下トンネルだ。
人権のため、自由のため、危険を顧みず、国籍や人種の壁を越え、立ち上がった人たちの州・・・・
それがオハイオ州。。。
当時から140年以上たった21世紀、今現在も、世界中に60万人から80万人という恐ろしい数の人たちが奴隷として扱われている。。。。 奴隷として扱われるということは、人としてではなく、所有物として扱われるということであり、100ドルで売買されることもある。。。 ということは、いくらでも交換がきく消耗品として扱われるということだ。。。。
アメリカでも尚、1万7千5百人もの人たちが売買されている。 アメリカに売られるのだ。アメリカが買っているのだ。
全体の4分の3が女性。。。
全体の半分が子供。。。
会社で知り合ったオーストラリア人の友人の一人が日本に住んでいたときに広島の原爆ドームを訪れたときの感想を語ってくれた事があった。言葉にならない。言葉にできない。しかし心に焼き付けられた戦争の悲惨さ・戦争の残酷さを語ろうとしていることは伝わってくる。
平和の為にできること。。。。核兵器を撲滅するためにできること。。。。。
ありのままを知ってもらうこと。ありのままを見てもらうこと。ありのままを聞いてもらうこと。
奴隷の歴史も同じだと思う。
まず知ること。そして知ってもらうこと。
The National Underground Railroad Freedom Center
www.freedomcenter.org

全く知らなかったが、なんと誇り高き州なのか、 オハイオ州は!
1800年代、1861-1865年のアメリカでの市民戦争までの間、オハイオ州は、奴隷として自由を奪われ人権を踏みにじられた多くの人々が束縛から逃避し自由をつかむ為のメイン・ルートだった。
オハイオ州とケンタッキー州を隔てるオハイオ・リバーを北に(オハイオ州側に)泳ぎ渡れば自由、つかまればまた地獄。。。 渡りきったとしても南から追っ手がやってくる。。。 そこで彼らの人権のため、自由のため、かくまう人たちが大勢いた。

屋根裏に、
地下室に、
倉庫の中に、
追っ手がやって来た時に逃げられるように、地下にトンネルを掘って。。。。
Underground Railroadと呼ばれているが、地下鉄ではなく、南から逃げてきた人々をかくまうための地下トンネルだ。
人権のため、自由のため、危険を顧みず、国籍や人種の壁を越え、立ち上がった人たちの州・・・・
それがオハイオ州。。。
当時から140年以上たった21世紀、今現在も、世界中に60万人から80万人という恐ろしい数の人たちが奴隷として扱われている。。。。 奴隷として扱われるということは、人としてではなく、所有物として扱われるということであり、100ドルで売買されることもある。。。 ということは、いくらでも交換がきく消耗品として扱われるということだ。。。。
アメリカでも尚、1万7千5百人もの人たちが売買されている。 アメリカに売られるのだ。アメリカが買っているのだ。
全体の4分の3が女性。。。
全体の半分が子供。。。
会社で知り合ったオーストラリア人の友人の一人が日本に住んでいたときに広島の原爆ドームを訪れたときの感想を語ってくれた事があった。言葉にならない。言葉にできない。しかし心に焼き付けられた戦争の悲惨さ・戦争の残酷さを語ろうとしていることは伝わってくる。
平和の為にできること。。。。核兵器を撲滅するためにできること。。。。。
ありのままを知ってもらうこと。ありのままを見てもらうこと。ありのままを聞いてもらうこと。
奴隷の歴史も同じだと思う。
まず知ること。そして知ってもらうこと。
The National Underground Railroad Freedom Center
www.freedomcenter.org
Saturday, June 14, 2008
ついに見つけた! きっかり7年目にして!!

平和と文化・教育交流に尽力してきた池田先生への功績を称え、世界から贈られる顕彰が後を絶たない
こんなにすばらしい事が日本国内では一切報道されていないのは“嫉妬の裏返し”以外の何物でもないだろう。偉大な人物とは皆そういうものかもしれない。
今日、ついに、つ・い・に、見つけた!
池田大作の森公園(正式名称:IKEDA TREE GROVE)!!!!
2001年6月12日、オハイオ州ウェスト・チェスター市が池田先生の功績を称えて広大なVoice of America Park 内に植樹し、「池田ツリー・グローブ」と命名した。また、公園を囲うように半円形につながる道路には、池田先生の師匠である戸田先生の名から、「戸田フレンドシップ・サークル」と命名。



何度も何度もオハイオ州に来る機会が今までもあったのだが、どうしても場所がわからなかった。。。
正式名称を知らなかったから、いくら日本語訳された名前で検索してもでてこなかったんだ・・・・
でもようやく見つける事ができた!オハイオ州在住のSGIメンバーとフロリダで出会ったのがきっかけ。。。「池田ツリー・グローブ」ができてからきっかり7年目だ。ふしぎだ。



7月19日は産みの母の30回忌。母が眠る北海道・厚田郡(当時は厚田村だった)にある「戸田記念墓地公園」も、きっとすばらしい光景に違いない。。。
「池田ツリー・グローブ」には、2010年まで毎年数百本ずつ植え続けていくらしい。今はまだ小さな木も、何十年後かには立派に育ってすばらしい森になることでしょう。



今日は会社の同僚宅での夕食に誘われている。ホテルから車で20分程度。。。
過去3回くらい訪れている。。。
にもかかわらず、「池田ツリー・グローブ」は、その友人宅のすぐそばだった・・・灯台下暗しか・・・・


ともあれ、下見は万全!
来週妻がシアトルから来るので、次の週末には妻を連れてまた来よう。。。。
Voice of America Parkにあるミュージアムにも是非行ってみよう!
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